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テキサスの歴史

テキサスホールデムの発祥

テキサスホールデム初期の歴史には、判然としない部分もありますが、1900年代初期に生まれたのは間違いないようで、テキサス州立法府の公式な記録の中に「1900年代初頭」に最初のゲームがおこなわれたという記録が残っているそうです。

テキサスホールデムという名前の通り、その発祥の地はアメリカ合衆国テキサス州ロブスタウンと言われています。ロブスタウンはアメリカ南部テキサスの中でも南に位置し、人口1万人超の小さな町です。そんな町から世界中で人気を博すゲームが生まれたのです。

テキサスホールデムを広めた男たち

ドイル・ブランソンは、50年以上のキャリアを持つ、プロポーカープレーヤー。2018年にプロの大会からの引退を発表。ポーカーの殿堂入りも果たしている彼は、テキサスホールデムをラスベガスに持ち込んだ一人と言われています。

本名トーマス・オースティン・プレストン・ジュニアというアマリーロ・スミス。アマリーロはスペイン語で「黄色」の意味。アーカンソー生まれで育ちがテキサス。世界で最も有名なポーカープレイヤーとも呼ばれた彼は、2012年に癌でこの世を去っています。

ライブテキサスホールデム

ワールドシリーズオブポーカー

ポーカー最強の男を決めるこの大会が始まったのは1970年。創設者はラスベガスのカジノ「ビニオンズ・ホースシュー」のオーナーで、自身もポーカープレイヤーだったベニー・ビニオンとその息子ジャック・ビニオンです。

カジノ界の伝説であるベニー・ビニオンは、テキサス州出身。そのテキサス州で違法ギャンブルを行っていました。しかし1950年代に合法にギャンブルができるラスベガスに拠点を移し、そこでワールドシリーズオブポーカーを開催する事になります。

世界に広がるテキサスホールデム

ワールドシリーズオブポーカーという大きな大会の種目として取り上げられた事で、テキサスホールデムはその知名度を広めていきます。1988年には、ドローポーカー以外違法であったカリフォルニア州でも合法になります。

テキサスホールデムの名前が決定的に世界に知れ渡ったのが、2003年のワールドシリーズオブポーカーです。クリス・マネーメーカーというアマチュアプレイヤーが、オンライン予選から勝ち上がり見事大会で優勝を遂げたからです。優勝賞金はなんと250万ドルでした。

日本のテキサスホールデムのカジノ